真っ黒なスーツを着る就活生を、僕は応援したい。

頑張れ、就活生。

カフェなどへ入ると、就職活動を行う大学生を目にする。

この季節、必ず1人はカフェにいる。
男女問わず、黒のスーツを見ると、彼らが社会人ではなく大学生であることがわかる。

社会人でも黒のスーツを着る人はいるのだが、何かが違うのか、その区別は容易だ。
彼らにとっては、人生をかけた戦い(少なくとも彼らはそう思っている気がする)に向けて、余計な部分で減点はされたくない。

そうした思いが彼らを保守的なファッションに見を包ませるのだろう。
これについては、画一的などの批判を耳にすることもある。

しかし私は思う、それでいいのだと。
まだ社会に出て3年の若輩者な私ではあるが、仕事内容以外の部分で、本来の業務遂行に問題を抱える人は思いの外、多い。

いい人だけれども臭い、ださい、近づき方が気持ちが悪い…etc。

こうした部分で、内容に目が行かず、そうした批判が行われている場面をよく目にする。
(私の生活範囲での観測のため、世の中一般でどうなのかは、ここでは論じない)

就活で画一的な見た目で振る舞うということは、そうした誹謗から自分を守る手段である。
人間は常にリスクとリターンを思考しながら生活している。

就活生にとって、服装で目立つのはハイリスクハイリターンだと、彼らは考えるのだ。
就活生自分の私も、もれなくそうであった。

どこかのファッションアドバイザーがこういったのをどこかで見た。

「服が目立つならば、その服はあなたに合っていない。話し合った時、あなたの話した内容だけが記憶に残るとき、あなたは似合った服を着ている。」

いずれ社会人になったあなたは、スーツや仕事着のオシャレに興味が湧く時が来る。

高校生のとき、制服という制限の中で何とかカッコつけられないか、考えた方もいたはずだ。
(私も考えていたが、今思えばとても恥ずかしい服装だ。でも、それも懐かしい思い出である)

いずれ社会人という枠の中でオシャレを楽しめる日が来る。
濃紺のスーツに小洒落たネクタイを纏うあなたが。

まだ、あなたのあなたらしさは、内面的な部分で勝負しよう。
服装はジャストサイズの真っ黒なスーツで、面接に望めばいい。

頑張れ、就活生。